日本語には、言葉の前に「お」や「ご」をつける習慣があります。今日はそれを、言語学的ルールの観点ではなく、日本人がどんな気持ちで使っているのか、私なりに考えてみたいと思います。

母国語を話す人は、文法を意識せずに言葉を使っていることがほとんどだと思います。では、日本語の「お」や「ご」を使うことで、話し手は何を表現しているのでしょうか。私が感じているのは、「自分を周囲にどう見せたいか」「相手との距離感(丁寧さ)」に加えて、「自分がその物をどう思っているか」という気持ちです。

赤ちゃんが言葉を覚え始める時期、日本では周囲の大人たちは自然と丁寧な言葉で話しかけます。「お団子おいしいね」とか、「ご挨拶しましょうね」といった具合です。丁寧すぎて、猫にまで「さん」をつけて「猫さんのぬいぐるみ」などと言う人も少なくありません。それは、相手に失礼がないように、というだけではなく、団子も、挨拶も、猫も、すべてのものが尊く大切だということを子どもに伝えているのではないでしょうか。こうした感覚は、全てのものに魂が宿るという八百万の神の考え方とも、どこか通じているように感じます。

そして成長するにつれて、人は自分の判断で「お」や「ご」を自在に操るようになります。関係性ができてくると、あえて外すことで親しさを表現することもあります。思春期の男の子が「お母さん」ではなく「母さん」と呼ぶようになるのも、気恥ずかしさや親から自立したい気持ちの表れなのかもしれません。

この感覚を言葉にするのは本当に難しいものです。つけたり外したりする判断が個人に委ねられているからこそ、揺らぎが生まれます。実際、日本人でさえ迷うことがあります。社会人一年目が、ビジネスメールなどの改まった文章を書こうとして、「お」や「ご」を多用したり、使い方を間違えて不自然な文章になってしまうのは、よくある光景です。

「お」や「ご」は漢字で「御」と書き、尊敬を表す言葉です。正解が決まっているというよりも、そのとき自分が感じたままに使っていい言葉なのだと思います。その揺らぎこそが、日本語の特徴のひとつなのではないでしょうか。「お花」でも「花」でもいい。ただ、確かにそこには、言葉の温度の違いが存在しているのです。